2017.08.11
こどもの頃に、師匠に聞いたことがありました。
「書道はどこまでいったら終わりなん?」
「そうやなぁ…一生かかっても、終わりまでいけるかどうか。。中にはたどり着ける人もおるんかなぁ、いけない人もたくさんいるかもしれない」
国語や数学は、問題を解いていけば、答えにいきつく。
マラソンしても、ゴールがある。
答えがない、終わりがない、ということにいまいちピンと来ず、もちろん当時は、「ふ〜ん」という感じでした。
(というか、朝から晩まで延々と続くお稽古が嫌いだった私は、終われる時期を探ろうとしたのです、きっと。笑)
私の師匠は、基本「あーしないといけない、こーしないといけない」とあまり言う人ではなかったけど、やっぱりお稽古中は厳しかった…
でも、誰よりもお稽古する人でもありました。
祖父の家に遊びに行くと、大抵祖父はいなくて、「おじいちゃん、教室?」「うん、字書いてるわー」と、いつもこの流れ。
そして、教室に行って祖父が書いているものを覗くと、いつもきまって、何かの臨書(歴代の能書家の書いた書を、そっくり書き写す基本練習。ここから、筆使いを学び、筆力をつけます)をしていました。
102歳で亡くなる1週間ぐらい前まで、その頃はもう毎日ではなくなっていたけど、調子がいい時は、教室で基本練習をしていました。
いつ覗いても、やっぱり臨書のお稽古。
そうやって、自分の身をもって、私たちに基本の大切さや書の心を教えてくれました。
それが、私の原点。
もちろん、ベース作りは字のお稽古ばかりではありません。
「書は人なり」と言うように、人としてのいろんなベース作りも、同じだけ大切な要素だと教わりました。
コツコツとしたことは、時間もかかるし、地味で面白いものでもないかもしれないけど、かといって、華やかなことばかりに夢中になって、本質を見失い、ごまかした書には逃げたくない。
祖父の書は、魂がこもった書という感じでした。
太い線だろうと細い線だろうと、フラフラしていない、誰かの真似をしたような書ではなく、芯のある書でした。
それはきっと、まずベースがしっかりしていたからです。
だから、揺らがない。
崩れることもない。
生涯かかって、祖父は書の終わりにたどり着けたんだろうか。
息をするのと同じように、毎日当たり前のように、コツコツと基本づくりをしてきた祖父。
「この度のパリでの活動、もしかしたら、おじいちゃんが夢見ていたことだったのかもね。海外で書道をっていう。」
そんな話をしてくださった方がいました。
もしかしたら、そうだったのかもしれない。
会派を越えて、たくさんの仲間や後輩、お弟子さんと、書を楽しんできた祖父。
昔々の人にも関わらず、かなりひらけた考え方をする人でした。
祖父のそばには、いつもみなさんが来てくださっていて、そんな触れ合いを大切にしていました。
私が、パリでの交流の中で、「書を楽しむのに、国なんて関係ない、ある意味、言葉も関係ないのかもしれない。」そんな風に、何とも表しようもない広いものを感じたように、祖父も考えたりしていたんだろうか。
Japan expo前後から、 ニューヨーク、中国、ロンドンでの、出展やパフォーマンスのオファーをいただいています。
特にロンドンは、クリスマスマーケットと並行して行われるそうで、今前向きに検討中です(*´◡`*)
そして、今の気持ち、ワサワサと出てくるのは、なぜか自信より戸惑い。笑
ちゃんとできるんだろうか。。。
こんな時だから、がんばらないと。。。
…いや、こんな時だから、ちょっと自分を省みてみよう。
最近はずっと、内なるものや外にあるものに感情が揺さぶられています。
なにか敏感になっている感じですね。
でも、いい感情もそうではない感情も、私自身がちゃんと感じている感情。
しんどい気もするけど、今は変化していく大事な時期なのかなと思っています(•̀ᴗ•́)و ̑̑
もう一度、ここから始めていけばいい。
私の書の世界、第2章が始まります。
そんな想いでの、個展準備。
目標は、来てくださるみなさんに、楽しんでいただくこと!
もう1つ欲を言えば、何かしら心の動く場になれば嬉しいなと思います。
お時間ありましたら、どうぞお誘い合せの上お運びください。
お会いできますことを、楽しみにお待ちしております(*´◡`*)