2017.09.17
個展期間中、いろんなお話をさせて頂きましたが、よく聞かれたことがいくつかあって、その中で、「光の字がたくさんあるのはなぜですか?」というお話がありました。
「光」の字は、私にとって特別な字というか、形を変えながら、ずっと書いていく文字なのかなと思っています。
私の中で、「光」=「人」でもあるのです。
数年前、私はどこまで落ちていくのだろうかと思うほど、しんどい想いを抱えた時期がありました。
お稽古だけは休むまいと思っていましたが、毎日普通に過ごすことすら、出来かねていました。
でも、数ヶ月経って、今のままでいいはずがないと、なんとか違うことに目を向けてみようと気持ちも少し上がってきた頃、清水寺での展示のお話をいただきました。
今の自分にいい字が書けるはずなんかないけど、この機会に助けてもらおうと思いました。
しんどいなりに、何かを仕上げようとしていたら、また変われるかもしれんなあと思って。
その時に、従姉妹が「清水寺に行ってみない?何か閃くかもよ」と誘ってくれました。
京都出身のため、色々教えてもらおうと思って、私も二つ返事で京都へ。
そこで、「胎堂巡り」というのを体験しました。本堂の下を歩ける場所があるのです。
「私はここで待ってるから、行っておいで」
そう言われて入りました。
何人かでグループになって入るのですが、まあ、暗いなんてもんじゃない。
本当に真っっっ暗!!
というか、真っ黒!
ほんとに何にも見えない。笑
綱を頼りに歩いていくのですが、皆さん他人同士でも足がぶつかり合うぐらいくっついて、数センチずつ、ちょっとずつちょっとずつ歩いていきました。
前に落とし穴もないし、おばけに脅かされないと分かっていても、不安な気持ちが出ますよね。
ちょうど中間あたりで、うっすら光がありますよ、と聞いていたのですが、これもまたなんともほっそい光。笑
何回も瞬きしながら目を凝らしてみないと光なのか錯覚なのか分からないぐらいの細い光。
でも、なんかホッとする感じがしました。
皆さんも、「あー、光?あるねー」とため息まじりに言いながら、しばらく佇んでいました。
そこから少し歩いていくと、パッと出口の光が入ってきて。
「あー、やっと外に出たー(ホッ)。光があるってありがたい」
そんな感じで階段を登って地上に出ながら、こういう感じって、なにかに似てるなぁと思って…そしたら、いろんな人の顔が浮かんできました。
私がこのしんどかった間、色々と助けてくれた人たちのことが。。。
みんなからも、ホッとする気持ちや安心する気持ちをもらっていた気がするな…と思いました。
グズグズになっていた私を、それでも話に付き合ってくれたり気にかけてくれたり、ほんとに支えてもらったなぁと。
人も『光』なのかもしれないなと。
その時に、「うん、『光』を書こう」と思いました。
良い字が書けるかは分からないけど、感謝の気持ちで書こうと思いました。
それから、この『光』という字から繋がりができたり、『光』の字の依頼を受けることが多かったり、大切な時に書こうと思うようになったり、自然と『光』の作品が増えました。
私は、『光』という字に、どこか人を重ねているかもしれません。
だから、これからもその時々で変化をしながら、自分のテーマの一つとして、この字を書いていくのだろうなと思います。
すごく大きな話をするようですが、『光』に関わらず、書は人生を表現しているような感じもあって、その時その時に感じる感情や想いを、書に乗せているような気がします。
師がよく言っていました。
「『書は人なり』って言うてな、書にはその人が出てくる。ほなけん、書道だけしよったんではあかん。一生をかけて、自分を磨いていく努力も大事にしいよ。」
今もし『光』にフリガナを打つとしたら、『ありがとう』と書きたいと思います。